※ この記事は2020.11/27に公開したブログのアーカイブになります
個人的な意見が飛び交いますし、内容もちょっと暗めなので読むのはお任せします。
先日、子供が学校に行くのを拒否して泣いている光景をみました。
子供は私立の小学生高学年か中学生くらい、父親と母親らしき両親は共働きの雰囲気。ほぼ無表情で車へと泣き叫ぶ子供を引きずるこの家族の光景は何度か見かけたこともありました。
家族の雰囲気からするとそこそこ収入もあり、多分、夫婦ともに仕事をバリバリやっている感じでした。
たまに「学校へ行くことを拒否」している場面に出くわすこともあって、その度に「冷めた目」をしている自分に気づいたりします。
「冷めた目」の先は両親へ。
別に全部、親が悪いとも思いませんし、責めるつもりもありません。
ただ、単純に「向き合ってないなぁ」と感じてしまうのです。
タイトルにもありますが自分も元「不登校」
中学校では出席日数足りず留年目前。
義務教育で公立なら「留年」はないと思われてますし、普通留年しません。
ですが、しました。高校の時の友達の妹は中学2年を2年間。
不登校の度合い?学校の方針?でしょうか…。
自分も中一から不登校でほぼ行かず3年の担任からの提案で免れたようです。
自分にも降りかかった留年は嘘か本当かわかりませんが、中学2年は行ってないので本当に危うかったのかもしれません。
個人では未だに学校に必要なものは「共同社会の生活」「道徳」「国語(英語なども)」「算数」以外はあまり必要ではないと思ってます。中学終われば働くつもりでした。専門学校まで行きましたが…(苦笑)
事実がわからない社会や個人の感性で左右される図工・音楽、競い合う体育もいらないかなと思ってます。
センスに評価もいらないですし、競い合いたいなら個別でスポーツを学んで頂いて。
好きだったり得意なものを伸ばして、無駄に苦手意識を伸ばさなくてもいい気がしてます。
甘えと思う人もいるかもしれませんが、「不登校」にもそれぞれ理由があります。
憶測でしかないのですが、その理由はきっと耳を傾けてもらえてないんだろうなとこの光景をみて感じました。
働く親からすれば「不登校」の行動は許せないものなのだろうなと。
自分も不登校で親ともかなり衝突をしました。
小中学生の時は寝起きに水をかけられたり、何時間もかけて「理由」を説明しても結果裏切られたり。
小学2年位のプールの授業で25mのプールを泳ぎきれず次のグループがスタートの位置についたので焦ってプールから出ようとした瞬間に担任に蹴り落され怒鳴られた過去があります。今なら反論だろうが何でもできますが…
それから授業のプールは断固拒否してましたが5年生のある時に当時の別の担任が引っ張って行こうとしました。泳げるようにはなりましたが正直落ち着かない状態だったので親へも前もって「無理です」と伝えてたのでそれを先生に言うと「知ってる、親からプールへ連れて行くよう言われてる」
家で親に確認をとると「言った」
正直、人のトラウマを何だと思ってるんだという素直な感想。
不登校からちょっとそれますが昔、嫁が彼女だったときにデート中に腹痛で動けなくなってそのまま入院。
実家で働いてたので寝ずに朝方帰宅して「入院したので今日は休ませてほしい。検査結果もでるし。」と告げた時の親の反応が…「なんで?お前が行っても何も変わらない」
もう血の雨です(苦笑)
それはわかってますが…。
「理解」はなくてもいいのですが…。
その後、病室へ行った時には病院の食事を済ませ満面の笑顔で「おいしかったー」といった嫁(彼女)に拍子抜けしたのを覚えてます…。
自分には12歳年下の弟がいますが、こちらも問題児。
小学校で暴力事件。
と、言っても自分からではなくそこそこ長時間からかわれた様子。
それでも殴ったのは変わりないのでそこは反省。
学校側からわざわざ保護者会で「両親、きてください」のご連絡。
しかし父親は拒否。
会社から学校は徒歩5分内の近距離。
だけど「子育ては母親にまかせてる」「俺が何を話すんだ?」
はい、なので金髪ロン毛でアゴヒゲ蓄えた当時イケイケ?の自分が参加しました。
そんな自分が参加したからか、意外と母親たちの攻撃は少なく保護者会は終了。
その後、校長室に呼ばれ話をしました。母親交え3人で1時間ほど。
「なぜ人を殴ったのか」
弟は問題児だとは思いますが小心者でもあるので簡単には手を出さないことも伝え、弟が普段一人で家にいる寂しがりな環境も伝え、親の「やられたらやり返す」精神が悪い事も伝え、弟には兄から叱ってますと伝えたりと長々と。
でも最後の校長の一言が「なんで殴ったのか」と来た時に「根本が何もわからない人」なんだなと感じました。
親父にしても校長にしても一体何を考えて生きているのか得体のしれない物体のような…。
それはさておき。
自分も「不登校」をすると気になる場面ですが、いつもこの場面に出くわすと「何かできないのかな」と歯がゆくなります。
赤の他人が声かけてきたら怖いでしょうし、身近にいてもせいぜい話を聞くしかできないかもしれませんが…。
自分がそうだったのですが「不登校」をするって「孤独」なんです。
相談する相手もいなければ、頼ることができない。
相手がいたとしても言葉として表現できなかったり。
やっと話しても「理解」されないから無碍にされたり。
「自死」を選んだ人に「話してくれれば」なんて意見も見かけますがそれは「できない」こと。そんな信号を出せないからやってきます。
なんとなく「不登校」をやってるわけではないので身近だと余計に気づくこともありますが…。
「なんでいう事聞かないの!!!」
って怒ってる親を見かけますが子育ては大変と思いつつも自分も人のいう事は聞かないでしょうと斜に構えつつ。
圧をかけても「根本」が解決しなれば誰だって前には進みません。
家族だろうが他人を怒る前に本当に怒るべきか一瞬でも考えるべきですよね…。
圧をかけすぎたり無碍の繰り返しで事件にならないことも祈りつつ。
勝手な意見ですが「不登校」にも理解がある人が増えたらいいなぁとは思います。
不登校を問題にするのではなく、不登校でも生きるチカラを持たせるほうがいいのではとも思います。
それに子供にだって「うつ」はあります。
まぁ一般的な家庭は問題ないと思いますが…。
自分の家庭も嫁の家庭も特殊だったからか…。
いつも「何かできないか」と頭の中でぐるぐるします。
こんな意見が通用する社会だとは思いませんが…違いを認めたり認められるだけでも違うのですが…
…ちょっと感傷的になってしまったみたいです。
愚痴っぽくなっちゃったかなぁ…。別に一方的に親を責めてるでもないのですが。なかなか理解しあえるって難しいですよね。こちらが弟の件で校長を理解できなかったように校長からしても同じことなんですよね。人間、難しい。
なので今夜はちょっと気分も変えたいので豪華な晩御飯目指して料理します。
食後のアイスを楽しみに、頑張ります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。